菜食エリザの放浪記

菜食女が徒然なるままに書き連ねるブログ。

所感:「私は一ヶ月後、この牛を殺します。〜私がヴィーガンにならないと決めるまで〜」を読んで。

まず、この記事を書くキッカケになったブログをご紹介します。

locafra.com

 

こちらのブログにはフリーライターのyuzukaさんが「無償で良いから書かせてほしい」と懇願し、取材した内容が6ページに及び記載されています。

 

とても長いため、ここでは分かりやすく要約させて頂きます。

 

<要約>

・過激派ヴィーガンヴィーガンを激しく推奨する人

ヴィーガンの主張はいつも同じソースで信憑性に欠ける。

・海月ダンテ氏との対談:「ヴィーガン生活から久しぶりに肉食をした時に『エネルギーがみなぎった感覚がする』というのは妄想」「栄養の偏りはあまり気にしなくて大丈夫」との発言に驚き、その後のアニマルフォレストの話でも『夢を見ている人』と感じる。

 

・栄養士との対談:「菜食は計画的に行うべき。アメリカでは推奨される一方でドイツでは妊娠・授乳中の菜食は推奨されていない。」「安全のために専門家の指導が必要」「もともと痩型の人はヴィーガンに向いていない」「万能食というのは本来存在しない」「SNSに書かれている内容は誤情報が多い」との発言に同意を示す。

※「牛乳のカルシウム」についても言及されていましたが、栄養士でありながら正しく理解していない発言であったため割愛します。

 

・食肉センター見学:私たちが一番見たくない部分を担ってくれている彼らがいなければ、私たちにお肉は届かない。

今の社会にとって彼らの仕事は必要不可欠で、恨むどころか、尊敬し、感謝すべきだ。

 

ヴィーガン食のメリットは、肉を摂らないことではなく野菜を摂ることではないか?

ヴィーガンの人は、「一切の生き物を傷つけずに生きたい」と望んでいると思う。

・肉を断つ前に肉を選ぶにシフトすべきだ。(ファクトリー以外の信頼できる牛舎から買うように選択すべき)

 

・牛舎でお世話をしていた牛が食卓に並んだ感想:「美しい・感謝・安心感・幸福感」

・牛舎の方の見解:「ヴィーガンは恵まれた人だけができる贅沢。貧困問題がある」

「菜食が進めば、牛のことを考えている牛舎から先に潰れていく」

愛玩動物経済動物は違う」

可哀想だと思うが牛はそのために産まれてきている」

 

・最終的な彼女の選択:肉食を続けること。ヴィーガンにはならず、高価でも良心的な飼育がされた肉を買う選択にシフトする方が先であるとの見解。

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ざっとまとめましたが、彼女の文章は最初から最後まで「加害者寄り」に描かれています。

(※種差別の観点から敢えて「加害者」と表記しています。)

 

彼女の記事では「ほとんどの牛飼いは『屠畜のその日まで、牛が幸せに、怪我なく生活してほしい』と感じている、ということだ」と述べた上で自身の訪れた牛舎を擁護する内容にまとめられています。

 

しかし、それは牛飼い側のエゴでありビジネスです。 

愛玩動物」と「経済動物」と明白に種差別されている点については、彼女はどのように考えるのでしょうか?

 

実際に牛舎や屠殺場へ行き、自分の目で知ろうとする行為には好感が持てますが、対談相手を1名ずつしか選出していない点やドミニオン等の動画はグロテスクだからという理由で視聴しないところには疑問が残ります。

 

取材と称して実際に牛舎を体験すれば深みのある文章が書けると思ったのでしょうか?

では何故、ヴィーガンを語る上で書籍を読むことはしなかったのでしょうか?

 

エビデンスを追求する割には、あまりに浅はかだというのが私見です。

 

正直に書かせて頂くと、「目をそらさずに読んでほしい」と主張する彼女の記事のなかで、当の本人は取材したことを免罪符に目をそらしたままであると感じました。

 

栄養士との対談も、たった一名の肉食肯定派の栄養士の見解であり、菜食肯定派の栄養士の見解を立てていない点も不適切であると感じます。

 

要は、たった一人のヴィーガンとたった一人の栄養士の発言があたかも各々の代表であるかのように拡大解釈されているということです。

 

実際に牛舎を訪れたことは素晴らしいことと思いますが、その反面で何故あのように理解が不十分な状態で記事にされたのか不思議でなりません。

 

また、対談のなかにあった「牛乳」については栄養士の不勉強さが露呈しています。

この点について聞き流し同調されている点からもゲイリー・ヨーロフスキー氏の動画すら視聴されていないことが伺えました。

 

彼女の記事を読むと、公平に判断したいと言いつつも「多くのヴィーガンが同じソースを提供する」ことを理由にそのソースには目を通していないことが明白でした。

 

私の所感としては、そこが非常に残念でした。

一見、中立でフラットな立ち位置から菜食の選択をするか否か考えたいという内容に見えますが、実際はその立場は明らかに中立なものではありませんでした。

 

『牛舎で働く人を守るため』といった大義名分を掲げていれば、彼女にとって都合よく肉食ができるという言い訳にしか感じられません。

 

あんなに長文で自分の体験や見解を述べているにも関わらず、その内容の希薄さにガッカリしたというのが率直な感想です。

 

ただ、私の見解というのも彼女の言葉を借りれば「外野が綺麗事を話すのは勝手だが、踏み込むなら具体的な提案が欲しい」と言われるのだろうと思います。

 

ダンテ氏との対談の章で記載されていた「他の牛舎に生かすことのできる知識は得られなかった」という発言についても、他人から知識を得られることが前提かつ当然であるかのように考えているのだと感じました。

 

ダンテ氏が対談で彼女から聞かれたこと全てに対して一つ一つゼロから説明しなかったのも、そもそも取材を申し込んだ彼女が全く勉強せずに自分の元へ訪れるとは思っていなかったのではないでしょうか? 

それ故に認識のズレが残ってしまったのだと見受けられました。 

 

『 何故ヴィーガンの人々が口を揃えて同じソースを提供するのだろうか?』

『そのソースにはどのような内容が記載されているのだろうか?』

このように考え実際に目を通すことが彼女には必要だったと感じます。

 

その上で牛舎を訪れ今回の記事を書くに至れば、また少し違ったのではないかと個人的には感じました。

 

 貧困問題についても間違った認識をされていたため、彼女は中田敦彦氏の名前を出しながらも彼の動画を最初から最後まで視聴していないことが浮き彫りになりました。

 

ここで正しい認識を持っていれば「ヴィーガン=贅沢な選択であり、貧困問題において肉食が必須である」といった誤解はされないはずだからです。

 

このブログを読んでくださっている菜食の方には周知の事実ですが、『肉食こそが贅沢な選択』なのですから。

 

「具体的な解決法や知識が必要だ」と述べるのであれば、彼女自身がもっと進んで勉強するべきだと思いました。

 

「自分自身の豊かな生活のために肉食が欠かせない」「肉食は確実に栄養を授け、人々を元気付け、幸せを与える存在」などという持論がいかに的外れであるかも知らずに記事を書かれたことは非常に残念です。

 

結局のところ、彼女の主張は「人間として豊かに生活するためにできる限り動物の苦しみを緩和しつつ肉食を続ける」という苦し紛れの理想論でした。

 

ダンテ氏のことを『夢を見る人』と揶揄する資格なんて彼女にはないのではないでしょうか?

 

もしヴィーガンが過激・極端だと思うのであれば、別にヴィーガンを名乗る必要は無いと考えています。

最初から0か100かといった完璧を目指す必要だってありません。

 

他の記事にも記載しましたが、月に一回菜食の日を設けることから始めて、二週間に一回、一週間に一回、と徐々に菜食が浸透していけば広く見た時に現状の改善に繋がります。

 

ヴィーガンは「一切の生き物を傷つけないことを望んでいる」のではありません。

ヴィーガニズムとは「人間ができる限り動物を搾取することなく生きるべきであるという主義」です。

 

他人に理想論を押し付けたいわけでも、夢を見ているわけでもありません。

ヴィーガンの現実は、決して贅沢ではないと言えます。

 

yuzukaさんには是非ゲイリー・ヨーロフスキー氏の動画か私の文字起こしブログを読んで頂きたいと思いました。

そして、牛舎を体験するだけでなくヴィーガン生活も体験して頂きたかったです。

 

最後にゲイリー氏の言葉の一部を掲載しブログの締めとさせて頂きます。

 

自分が被害者ではないとき、自分の視点だけで判断しないでほしい。

なぜなら、自分が被害者でないときには、残虐性を合理化し、言い逃れすることは簡単だからだ。

不正・不平等・奴隷制度・殺戮についても同じだ。

しかし、自分が被害者になったとき、物事は大きく違って見える。

(ゲイリー・ヨーロフスキー「世界で一番重要なスピーチ」より)