一ヶ月のTwitter断ちの記録。
『デジタルデトックス』という言葉をよく耳にするようになりました。
私は自己紹介にも書いたとおり、根っからのインターネット好きです。
小学生の頃にワープロに出会い、その後はインターネットの世界の素晴らしさにハマり続けてきました。
今回SNSと一括りにせず題材をあえてTwitterに絞った理由は、私はFacebookは利用しておらず、Instagramはあまり興味が無く殆ど使っていないからです。
要はTwitterが私にとって悪い依存対象になっていたことが主な理由です。
Twitterも始めた当初は日に何度もアプリを開くようなことはありませんでしたが、いつしか暇さえあればTwitterを開き、いいね・コメントをすることが癖になるほどヘビーユーザーとなっていました。
正直、ハマること自体はちっとも悪くありません。
趣味がTwitterでも全然ウェルカムです。笑
ただ、私の場合はハマればハマるほど、不思議なほど自分自身がネガティブな方向に物事を捉えやすくなったり、誰かに対して批判的になりやすくなっていることに気がつきました。
そこでこのままで良いのか悩み始めたことがキッカケでした。
<一体何のためにTwitterしてるんだろう?>
このように思い始めたのは、
・他人のツイートに対して些細な事にイラつきやすくなった。
・最初から否定的な見方をしてしまうことが多くなった。
・マウンティング疲れ。
・多数派の意見や感想に対して「同じような意見・感想を抱かなければならない」と感じることが多くなってきた。
・自分と他の人との感覚のズレ
上記のことが主な理由でした。
そもそも、私がTwitterをやっていた理由は、『本音が書けて、リアルでは出会えない人と繋がりが持てる』からに他なりません。
それなのに、いつの間にかTwitterに悪い意味で影響され過ぎていました。
最初は良い意味で刺激を受けていたし、純粋に人との交流が楽しかったはずなのに、何故こんなにマイナスな感情だらけになってるんだろう、と悩むようになりました。
ネガティブな自分になると分かっていても、Twitterを開くことが癖になっていたため、時間さえあればTwitterを開き、そのたびに何かしらマイナスな感情を抱きストレスを感じるというような負のループでした。
「人の影響を受けやすい性分だから」ということもありますが、それ故にもっと自分が触れるものには慎重になる必要もあったと感じます。
<Twitterの多様性について>
私がTwitterを好きだった理由は、『匿名の良さ・ネット上ならではの繋がり・一息つける場所』だったからです。
私は昔、匿名性のチャットにハマりきっていたことがあります。
そこでは、住んでいる場所・性別・年齢・肩書きは一切関係なく、お互いの内面だけで会話ができるということが心底楽しく、大袈裟ではなく学びも多く世界が広がったツールの一つでした。
結局、それがチャットであろうとTwitterであろうと、私はインターネットを通じて人と繋がる最大の魅力はそこであると思っています。
だからこそ匿名性を取っ払ったFacebookにはハマらなかったのだと思います。
そして、この良さがTwitter上で失われ始めたのはいつからだろう?と考えました。
私個人の考えでは、Twitterの良さが段々と薄れてきたのはリアルの名前や肩書きをプロフィールに書く人が増加したからだと思っています。
これは、Twitterをビジネスツールとして利用し集客に使う人が増えたことも大きな一因だと感じます。
はたから見ていて、まるで名刺交換でもしているかのような違和感を覚えていました。
インターネットビジネスが栄えてきたことによって発展したものがある反面、Twitter本来の良さを失いつつあるような気さえしました。
私はTwitterで仲良くなった方々とのコミュニケーションツールとして使っていたつもりでしたが、『純粋に愉しむ』ということが少なくなっていると気づきました。
では、ビジネスツールとしてTwitterを使う人が悪いか?というと、そうではありません。
私は匿名性が好きですが、本名や肩書きを名乗ったりビジネスに利用すること自体は特に規約違反でもありませんし、それぞれが自分の目的に沿って各々プラスになる使い方をすれば良いと思います。
Twitterをどう使おうが、規約内であれば各ユーザーの自由なはずのに、私はその多様性すらポジティブに受け止められないほど、偏った見方や考え方でTwitterに寄りかかっていたのだと気が付きました。
<Twitter断ちを決断>
私がまだTwitterにどっぷりハマっていなかった頃を思い返すと、他人のツイートやリプライなど大して気にも留めず、適当に眺めて好きにツイートして・・・今よりずっと軽く利用していたと思います。
当時は、本当にいつTwitterを手放しても良いと思っており、もし急にサービスが終了したとしても、また他に似たようなものを探せば良いと考えていました。
しかし、そんな風にバランス良く利用できていたのは、その頃の私は無意識にでも現実世界の自分の方に主軸を置けていたり、上手く線引きできていたからだと思います。
当時と今の違いに気づくと同時に、今のタイミングでしっかり向き合って見直すべきだと感じ、Twitterから一度離れてみる決心がつきました。
<やってみて変化したこと>
まず最初に感じたことは、日常生活の中で一人で何かを発見した時やちょっとした愚痴を言いたいときに『すぐに発信できない』というもどかしさでした。
今までスマホですぐにTwitterを開く癖があったため、手持ち無沙汰な感覚は否めませんでした。
嬉しかったことや悲しかったことなど・・・『ちょっと誰かに言いたい』という正に呟けないことの寂しさを痛感しました。
結局、その感情を昇華させる手段として本ブログとは別で数年続けているブログに自分の考えをまとめてアップしてみたり、そうするまでもないような感情は胸の内に留めるということを繰り返していくようになりました。
ブログに感情の垂れ流しを書くのではなく、人に伝えようという目的で下手ながらも『一度しっかり考えを噛み砕いて伝えるために書く』ということをするようになってから、ブログ友達が自分の発信した情報をシェアしてくれたり、私の考え方や価値観に対してより深く共感を示してくれるようになりました。
これはTwitterにハマっていた時によくあった『書くか書かないか悩む』というものとは違って頭の中でぐるぐる堂々巡りするような思考ではなく、次々と頭の中で構成が進んでいくようなイメージでした。
(Twitterで書くか否か悩むときは大体他人からの見られ方を気にしていました。)
そして、何か気になることやニュースを目にすると「Twitterでは今どんな解釈がされているんだろう?」と気になってTwitterを開きたくなることもよくありました。
この点については、気になることはTwitterで他人の意見や解釈を交える前に、必要な記事を探し「自分の意見・自分の解釈」を先に固めたうえで、更に深く理解したい場合はTwitter等で他人のジャッジメントを挟む前に独自で調べてみる方が良いと感じました。
他人の意見や他人のジャッジメントを読むのはそれからでも遅くありません。
先に自分なりの答えを導いて持っておくことの大切さを感じたポイントでもあります。
そして、今までTwitterに費やし過ぎていた分の時間が増えたため、自然と一日のうち自由に使える時間が増えました。
私はこの時間を使ってインプットを増やすべく、映画や読書に集中することが多かったです。
今まであまり映画は得意ではありませんでしたが、観れば観るほど自分の好きな監督や俳優が浮き彫りになっていくことが分かり、映画を選ぶ際にあらすじだけで何となく選ぶということが減りました。
読書に関しては、普段なら敬遠しがちな医学関連の本を読み、自分自身に対する理解を深める時間を多く持つことができました。
こういった書籍はどれだけ読みづらい文章であっても、信頼できる著者(医師)が読み手に真剣に伝えようと書き綴っている気持ちの強さを感じ、時間がかかっても理解して読了したかったので何度も読み返したりしていました。
最後は、単純ですがストレスが減りました。
こう書くと今までTwitterで無理でもしていたかのようですが、そうではありません。
Twitter漬けの生活になっていたことで視野が狭くなっていたり、気にすべきでないことまで気になっていたりというネガティブな部分が消えたからです。
Twitterばかりに気を取られていた頃と違って思考がクリアになった感覚でした。
今は、この機会を利用して文字起こしに挑戦してみたり、資格試験の勉強を始めたりしています。
・・・正直、早くこのブログをTwitterで公開したい!という気持ちが押し寄せてきていますが、1ヶ月達成後に新たに自分の軸をまとめた状態でやるべきだ、と気持ちを強く持ち直しているところです。
(これを書いている時はまだTwitter断ち2〜3週間の段階です。)
<これからのTwitterとの付き合い方>
・他人の目的に惑わされず、自分の目的を明確にして利用する。
・自分にとって不必要なものは視野に入れない。
・ざっくりと利用時間を決めておく。
上記を自分の中で決めました。
良くも悪くも影響を受けやすい自分の性質を理解したうえで、これらは最低限のルールのようなものです。
私はいくつになってもインターネットの良さを語れる人間で在りたいですし、自分にとってポジティブに付き合える距離感を保ちたいと考えています。
Twitterに限らず、『多様性を受け容れて自分らしく在る』ことが一番です。
そのための距離感やツールの使い方を各々が理解し上手く利用していくためには、しっかり自分自身を知って不要なものは遠ざける柔軟さも持っておく必要があると感じました。
今後は良い意味で深くハマらず、適度なバランスで付き合っていけたらなと思います。
『今すぐ誰かに発信したい』は今すぐ発信する必要なんて無かったのです。
呟きはあくまでも呟きのままで良いと改めて思いました。
誰かを攻撃するものでもなく、誰かに賞賛されるためでもなく。
Twitterの原点に帰ってきたような、そんな感覚です。
もし 、私と同じようなモヤモヤを抱えている方がいましたら、一度Twitter断ちをやってみることをお勧めします。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
私がTwitter断ちを決行する前に背中を押してくれた友人に感謝を込めて。